日本の屋根を造り、
守り続ける職人集団を目指して。

トントンカンカン。瓦が日本に伝わった飛鳥の時代から、1400年もの長きに渡って日本の空に響いてきた音があります。茅、藁、板、瓦など素材は様々に変わりましたが、私たちの仕事場はいつも屋根の上。日々の生活を包む屋根と空の間で、時代や文化、人々の暮らしを見つめてきました。屋根に上がると、私たちはいつも瓦一枚から始まる暮らしの物語に思いを馳せます。屋根を造る(守る)ことは、暮らしを創る(守る)ことであると。

川畑瓦工業が目指すのは、仕事に誇りを持ち、挑戦し続ける職人集団。腕に覚えがあっても、初心を忘れることはありません。昔も今も、仕事ぶりはいつも頭上のお天道さまが見ています。瓦を銀色に照らす太陽の下で、ひたすら正直に。すべてはお客様の「ありがとう」のために。今日もどこかで川畑瓦の看板を背負った男たちが、暮らしの瓦を葺き続けています。軽やかに屋根をつたい、リズムよくゲンノウを振って、トントンカンカン…

川畑瓦工業のあゆみ

初代・川畑豊彦が瓦業を興したのは昭和39年。地域に寄り添う「町の瓦屋さん」として垂水の地に創業しました。
3年後には先代の川畑敏(当時23歳)が代表に就任。当初は家族経営による小さな会社で従業員も少なく、業者や大工さんに加勢を頼んで瓦を屋根にあげていたほどです。時は高度経済成長期のただなか。当時の垂水界隈も港町ならではの気風が色濃く残り、町も人も確かな活気と熱気に包まれていました。幾重にも重なる瓦屋根の上を「屋根より高い鯉のぼり」が気持ちよさそうに泳いでいた時代のことです。
昭和43年に現在の垂水市高城へ工場を移転。地域の皆様に支えられながら、少しずつ瓦業の基盤を整え、昭和55年に「有限会社 川畑瓦工業」として会社を設立しました。その後、平成13年に「株式会社 川畑瓦工業」へと組織変更。平成20年に2代目として川畑博海が代表取締役に就任しました。

引き継がれる技術と信念

川畑瓦工業では「成長する個人、成長する企業であるために常に挑戦する」との行動指針を掲げ、「素直な気持ちで受け入れる」「前向きな(プラス思考)姿勢で行動する」「勉強し、学ぶ人間であれ」と目標を定めています。
時が流れ、屋号が変わり、代が変わっても、瓦職人としての志は一貫して変わりません。
初代が掲げた「伝統を守り、暮らしを守る」という信念は、そのまま現在の「株式会社 川畑瓦工業」へと連綿と受け継がれています。

新しい分野への挑戦

瓦職人としての伝統を守り、伝えると同時に、革新をおそれず前に進むこと。それは今を生きる(あるいは今を造る)私たちが常に向き合っている命題です。いわば川畑瓦工業の歴史は、革新の歴史でもあります。

常に前を見続け、進化する

昭和58年には自動脱板設備を導入し、セメント瓦の量産を開始。生産ラインの自動化を実現しました。セメント瓦は乾燥の工程がとても難しく、白く変色してしまう弱点があります。そこで瓦乾燥用の室(ムロ)をいち早く導入し、セメント瓦の普及に貢献しました。平成11年には屋根工事業の他に7種類の一般建築業の許可を取得。同年11月、鹿児島県知事より中小企業経営革新支援法に基づく経営革新企業として承認を受けました。
各分野において、技術面で革新的な発展を望めると認定された企業を対象とした支援で、支援法によって生産ラインを強化しました。これまで、セメント瓦は現場で単色に塗装していましたが、私たちが取り入れた水系焼付塗装ラインによってデザイン調の塗装が可能になりました。この技術を可能にしたのは当時全国で5社のみです。6月にはクボタ松下電工外装「ROOGA」ショップに加盟。全国の外装リフォーム会社が集う研究会に参加するなど、常に歩みを止めることなくお客様の暮らしに寄り添ってきました。
すべてはお客様からいただく「ありがとう」のために。川畑瓦工業は、まっすぐ、ひたむきに“今”を作り続ける誇り高き職人集団を目指します。

職人への道

能力を問うより人の可能性を見いだすKAWABATAの職人向上計画

川畑瓦工業の一日は、職人たちの元気のいい挨拶で始まります。

一人が発する明るく元気な声は、次第に仲間や職人、お客様の笑顔へと伝播していきます。職人として必要な心技体の充実をはかる1年目。当社では、朝礼、本読み、声出しなどを通して人間力の形成に取り組み、個性や特性に合わせた研修・各種プログラムも実施。腹の底から声を出し、笑い、お腹に力を込めてゲンノウをふるい、お腹いっぱい食べて英気を養う。ときには腹を割って熱く語り合う事もあるでしょう。心は腹にあり。腹を決めて仕事に向かえば、やがて聞く耳、考える頭、行動する手が育ちます。

失敗は成長の糧。

鍛錬の場は現場ではなく、自分で作った時間の中に設けること。現場ではプロとしての確かな仕事をこなしつつ、朝に夕に常に向上心を持って研鑽に励む日々。先輩や職人たちの仕事をよく見て、真似をし、失敗して、工夫し、自分のものにする。雑草という名の草がないように、雑務や雑用にもひつとつひとつ意味があるもの。影の努力、たゆまぬ精進を続けることが職人へのただ一つの道。得手不得手もあるでしょう。長所を着実に伸ばすことはもちろん、短所をしっかりと認識し、力を補うこと。ここが踏ん張りどころ。技術の形成のときです。

ひと通りの仕事を覚えると、ようやく一人で現場を任されるようになります。

仕事にやりがいを感じると同時に、大きな責任がその腕にかかってきます。困難に直面したときに頼りになるのは、これまでに培った技術と経験。現場を任されたからには、責任をもって最後まできちんと仕事を納めなければなりません。現場での仕事や仕草のひとつ一つを、自身がそうであったように後輩がじっと見つめています。難しい案件を終えた先には、この上ない達成感とお客様の笑顔が見えるでしょう。すべてはお客様の「ありがとう」のために。その意味を心から理解できるはずです。

「石の上にも三年」なら、「屋根の上には10年」

ひとつの仕事を10年突き詰めた先に、ようやく職人の姿が立ち現われてきます。屋根の上へ颯爽と駆け上がり、リズムよく、よどみなく仕事を進める姿はいつか見た、憧れの職人の姿そのもの。お客様も仲間も、その戦果を頼もしく見つめています。しかし、いくら腕に覚えがあっても過信や油断は禁物。いかなる現場でも常に最上の仕事を追求するのが真の職人。日々是向気心。屋根から見上げた空に際限がないように、職人道にも終わりはありません。次の10年、そのまた先の10年に向かって今日も屋根に上ります。

誇り高き、職人になってみませんか?

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